あとがき

 ”中学、高校、大学と、10年間近くも勉強しているのに、ろくに会話もできなのはおかしいではないか”という日本の英語教育に対する批判は、大多数の国民に支持されていると思います。ネパールへ調査に出かけた時に、現地の子供たちが物怖じせずに英語で話しかけてくると、なぜ日本人は会話が苦手なのか、私たちもつくづく考えさせられたものです。

 ところで、”日本では、小学、中学と高校を合わせただけでも、体育の授業を10年以上も受けています。しかし、国民のほとんどは運動不足です。これも一体どうしたことなのでしょうか”このような批判を耳にしたことはほとんどありませんが、英語教育と同等もしくはそれ以上に、深刻な問題なのではないでしょうか。

 もちろん、学校教育の不備だけが、運動不足をまん延させた原因だとは思いません。しかし、学校で「運動と健康」に関する教育が、ほとんど行われていないことは確かだと思います。

 社会教育の分野でも、体育の振興は重要な施策のひとつのようです。しかし、ここで行われてるものもスポーツの技術指導が中心のようであり、”スポーツを健康づくりにいかに役立てるか”といった指導は、ほとんど行われていないようです。”健康づくり”よりは、”楽しい余暇の過ごし方”が重要視されているのかもしれません。

 また最近、各地に健康増進センターや保健センターのような、国民の健康づくりの推進を目的とする施設がつくられました。しかし、その多くは単なる健康診断所や体育館としての機能しか果たしておらず、設立目的である”健康づくりの推進”と照らしわせて考えれば、遊休施設化していると言わざるを得ない状態のようです。

 このようなセンターを効果的に運営するためには、有能な人材の確保などのソフトウェアの充実や膨大な運営費が必要です。しかも、少人数しか対象と言えないという欠点もあります。したがって、条件に恵まれた地域や職域が、センター方式を”健康づくり運動のバネ”にすることは可能でしょうが、全国民を対象とした健康づくりを、この方式で行うことは極めて困難だと思います。

 学校教育や社会教育の場で、運動不足の問題が真剣に論じられるのを、期待していないわけではありません。また、健康づくりの推進を目的とした施設が、その本来の機能を発揮するのを願わないわけでもありません。しかし、それほど大騒ぎしなくとも、運動不足の問題をある程度解決することは、可能なのではないでしょうか。

 私たちは、「歩行の習慣の復活」を、最も現実かつ普遍的な”運動不足問題の解決策”だと考えています。”歩くこと”は、きわめて平凡な運動です。しかし、平凡なるがゆえに、現代人はその重要性を見落としてきたのではないでしょうか。

 少し乱暴な言い方かもしれませんが、まず「歩行の習慣」を復活させ、それで満たされないものを後で補う方が、あれこれ理屈をこね回した挙句に少ししか前進しないよりも、結局は近道を歩むことになると思うのです。この私たちの提案が、全校的に大勢の人々から認められる日を、心から待ち望みたいと思います。

昭和58年10月 著者