まえがき

 私たちは、これまで「生活形態と健康」との関わりについて研究してきまし。それは、退行性疾患の増加や、いわゆる”半健康人”の増加などの「今日的な健康問題」が、近年の急激な生活様式の変化によってもたらされたのに、大いに注目すべきだと考えたからに他なりません。運動不足の問題も、もちろん重要なテーマの一つであったと言えます。

 ただ、他の研究者たちと若干異なる点は、「運動と健康」との直接的な関わりを研究するのではなく、運動を生活の一部としてとらえ、また、人類の古い生活の歴史の中に、現代生活を位置づけて見たことだと思います。詳しくは本文の中で述べることにしますが、私たちが今日までに得た結論は、①現代人が運動不足になった主要な原因は、歩行の習慣を失ったことであり、②運動不足の最も優れた解消法も、歩行の習慣の復活であるというものでした。

 ”日本人の多くが歩かなくなり、そして歩けなくなっている”ことに、私たちが初めて気づいたのは、昭和52年秋のことでした。「ネパールにおける健康科学的調査(予備調査)」を行うために、ネパールの首都カトマンズを訪れていた私たちは、まずネパール人の歩行姿勢や歩行速度が、日本人とはかなり異なることを発見したのです。

 カトマンズの街を行き交う人々は、背筋がよく伸び、脚が前後によく開かれた”美しい歩行姿勢”をしています。平均身長は日本人より低いのですが、歩幅は日本人よりも広いと言えます。このために、歩行速度はかなり早いのですが、並んで歩いてでもみないかぎり、外観からその速度を実感することは困難です。

 日本にいると気がつかないのですが、日本人の歩行姿勢は猫背型で歩幅が狭く、”トボトボ歩き”に近いと言えます。朝の通勤時などには、歩行速度はかなり早いのですが、やはり歩幅が狭く歩数の多い”セカセカ歩き”の人がほとんどだといえます。もちろん、歩行姿勢も良くはありません。

 現在のネパールの社会経済的な状況は、日本の明治もしくはそれ以前の時代に相当すると考えられています。交通機関は未発達であり、人々は「長時間の歩行の習慣」を保持しています。首都カトマンズのサラリーマンは、片道1〜2時間歩いて通勤するのが普通ですし、山間部に行けば、片道2〜3時間歩いて通学する子供が大勢います。また、少し遠方へ旅するときの所要日数は、だいたい日本人の半分以下だと考えてよいと思います。

 現代の日本人の眼には、ネパール人の歩行姿勢や歩行能力は”特別なもの”と映りがちです。しかし、かつては日本人も、優れた歩行能力を保持していたのです。たとえば、江戸時代に東海道を旅した人々の1日の行程は、約10里だったとされています。十数日間も毎日約40kmずつ歩き続けることができは江戸時代の人々の歩行姿勢は、現代のネパール人と同様に美しくまた合理的であったはずです。

 日本人の多くは、自分たちが歩かなくなったり、そして歩けなくなったことに、まだ気づいておりません。そのための害についてもです。「歩行習慣」には、人類誕生以来の数百万年にわたる歴史があります。私たちのからだは、歩くのに適するように進化してきたと言えるのです。このような歴史的な事実を無視して、運動不足の問題を考えることはできないと思います。

 それに、運動不足が叫ばれる以前の時代に、祖先たちはどのようなからだの動かし方をしていたのでしょうか。別に”ジャズダンス”、”ジョギング”や”テニス”などを行なっていたわけではありません。このことについても、冷静に考えてみる必要があると思います。

 もちろん、”ダンス”や”スポーツ”などを行うことが、全く無意味だとは思いません。金と暇が必要ですが、やり方に工夫を凝らせば、それなりの効果が期待できるからです。しかし、現代生活で失われがちな身体活動(運動)を、十分に補ってくれるとの保証はないと思います。なぜならば、”ダンス”や”スポーツ”などは、”主にスリルや楽しさを味わうものとして発達してきたと言えるからです。

 ”ダンス”や”スポーツ”には、食べ物でいえば甘いお菓子に相当する魅力があると思います。それに比べると、”歩行”は本当に平凡だと思います。しかし、”歩行”には重要なエッセンスがたくさんあるのです。食べ物で言えば、三度三度の食事に相当すると思います。お菓子でも食欲を満足させ、ある種の栄養を得ることができています。しかし、必要な栄養素のすべてを得ることはできないのです。

 この本では、なぜ”歩行の習慣”が重要であり、また”運動不足解消の決め手”であるのかについて、科学的な根拠を示しながら、なるべく平易な説明をし たいと思います。

 ところで、この本を出版することができますのは、これまでに大勢の方々と共同研究を実施し、また討論してきたからに他なりません。ここに明記しておきたいと思います。そして、すべての共同研究者の方々のこれまでの御努力に対し、心から尊敬と感謝の意を表したいと思います。

昭和58年 著者