刊行にあたって

九州大学健康科学センター長 緒方道彦

 「健康科学センター、IHS(Insutitute of Health Science)」は、九州大学の保健体育学科(教養部)と保健管理センターの統合体を基礎とし、これに医学部・理学部・教育学部・教養部からの研究員を加える新構想の研究教育組織として、昭和53年4月に創設されたものである。

 IHSは研究部と事業部の二部よりなるが、「健康科学を研究する(設置目的)」場としての研究部では、総合大学の利点を十二分に活用しつつ「人間の健康の維持・増進」という高領域でかつ綜合的な調査・研究を推進するための工夫が凝らされつつある。

 今回、IHSにおける諸活動の里程標として、「健康科学」Journal of Health Science, JHS、を創刊することとなった。IHS成立の経緯から明らかなように、「健康科学」は、従来の「九州大学体育学研究」と「九州大学保健管理センター紀要」統合・継承するものではあるが、IHS創設の理念に沿って、より広くより深く人間の健康という綜合的な課題に向けての脱皮新生をめざすものである。

 今日、健康についての関心は個人的にも社会的にも極めてて高いものがある。直接する科学領域として医学と体育学への期待も大きい。この社会的要求の重大さは、病気やスポーツ・エリートの問題にとどまらず一般の社会人すべてにかかわる広がりを持つということにある。医学研究の定石のなかでの対照群、体育学研究においては非鍛錬者群という一般人について、われわれ研究者たちは何を識っていたのであろうか。

 現代文明における日常生活の中で、ひとりひとりの健康の維持・増進をはかる方策は如何にあるべきか。この課題を明確にしてゆくことは、日常の衣食住の諸条件が国際的に相関し、人類社会という表現が嘗てなかったほどに実体化した現在、全地球的な意義をもつものである。

平凡な日常生活者は「歩くヒト」である。歩けないときの「横たわるヒト」に関する科学が医学であり、より速く「走るヒト」は体育学の領域であるとも言える。われわれは「歩くヒト」についての科学をどれほど進めていたのであろうか。

 社会的な要請を肌に感じながら自らの無知・無学に対する研究者たちの強い反省が、IHS創設の深い動機である。確かなものを 求めねばならない。「健康」とは何か、「正常値」とは何を示唆するものか、総合的な「健康指標」をどこに求めるのか。健康科学は、なお未解の学である。

 「健康科学」の創刊にあたって、ひとつのエピソードを考えてみたい。それは、ともすれば内輪の紀要が陥りやすい安易さの自戒からでもある。IHSは研究組織として大学院博士課程のレベルに位置付けられている。当然のことながら研究活動は、国際的に評価されるものでなければならない。それ故、スタッフの研究発表は一流の学術誌を目標とすべきである。「健康科学」自身が、何時の日か国際的に評価される学術誌となることを、われわれは目標としている。しばらくは、しかし、次第に発展向上してゆく時間が必要であり、その間にも、「健康科学」は続けられねばならない。その理由は、健康科学は、"muddy science"のstageにあると考えるからである。

 エピソードというのは、1963年頃のロックフェラー研究所におけるパネルディスカッションのことである。環境問題が明らかとなり始めたころの先覚として、Rene DubosやPittendrightなど著名な医学・生物学者8名が討論に加わっていた。最後にBronk所長が、講堂を埋めた若い科学者や学生たちに発言を求めたとき、あるノーベル賞受賞者の下で研究中の新進化学者が、「興味深い話であったが、自らその領域に関する研究をする意思は全くない」と答えた。野心に満ちた気鋭の彼には、"exact science"で"clear cut"な研究をするのが最高の科学者であったのである。その理由を聞きだしたDubos教授は、「しかい、clear cutな研究が可能なほどにその領域の課題が"clear"になるまでに、どれほど多くの科学者たちが"muddy"な対象と取り組んだのかを考えてみたことがあるのか」と、やんわりたしなめたということである。このエピソードを語ってくれたPittendrigh教授は、生体の周期性について著名な科学者であるが、彼の日週期の課題も60年代初頭には、unpopularな"muddy science"のstageにあったといえる。

 IHSのスタッフの志向する健康科学も、その意味に不足はなくとも、基本的な研究課題の綜合性からみて、当分は"muddy"であることを覚悟せねばなるまい。しかも、既存の学問領域の何処に業績発表すべきかもはかりかねるものであろう。そのためにも、「健康科学」は創刊されねばならず、そして育成されねばならない。やがては、しかし、IHSのみならず、学内・学外さらには国外の研究者たちの中心となる里程標としたいものである。

 muddyからexactへの歩みに加えて、今ひとつ、「健康科学」の試みるべきことがある。それは、広領域的な綜合研究を推進するにあたっての”共通の言語”の問題である。くりかえし述べたように、人間のそれも平凡な日常生活における健康に関連する諸科学は数多い い。IHSの研究をみても、医学・心理学・体育学・数理統計学・分析学・経済学などの専門家が含まれている。”共通の言語・文法”がが研究上の便宜のために不可欠である。「健康科学」誌上には、既成概念から見れば雑多な原著が一括して掲載されるかの如くである。しかし、雑多とみるのはIHSの理念ではない。相互の論文を読み合うことから”共通の言語”の確立ががはじまる。空論ではない。健康科学の対象は「ヒト」である。ヒトという綜合的存在は、目的指向的に研究勝を統合させうることになる。時間は必要であるが、やがて、「ヒト」の実像に関する共通の文法・言語をうみ出す場としても、一見雑多な「健康科学」誌は役立つこととなる。

IHSは、生まれたばかりである。 「健康科学」創刊号は、脱皮新生の意欲にあふれながら、まだまだ古い殻を残している。しかし、歩み始めることによってこそ意義はある。

 公刊によって、多くの方々のご批判・叱正をいただきうれば幸いである。

(昭和54年1月25日)

附記

一般の日常生活に関する科学として、「ヒト」の実像を識ることは、すなわち、われわれ自身を明らかにしてゆくことであろう。そのためのアプローチは限りなく存在する。しかし、「ヒト」そのものを解明する有力な鍵は進化と遺伝の示唆するところにある。「ヒト」の綜合的なモデルに関する個人的見解の一節を引用して、健康科学の意図するものの説明の一助としたい。